2003年デビスカップ決勝(対スペイン)直前インタビュー


2003年11月25日

レオ・シュリンクによるロングインタビュー

 

――決勝の展望は?

「これはもう、すごく厳しい戦いになるね。芝はたしかにスペインの得意なサーフェスじゃないけど、あれだけ強いチームだからさ。メンバーを見ただけでもわかるでしょ。二人(フェレーロとモヤ)はグランドスラムの優勝者で、二人とも元世界1位だし、コレチャも何回か全仏の決勝に出てる。大きなプレッシャーのもとでの戦い方を知ってるし、ここ5年で最高のデ杯チームのひとつだよ」


――スペインは芝じゃ勝ち目なしってのが一般の見方だけど。

「フェレーロは芝じゃあんまりプレーしてないけど、今年のウィンブルドンではベスト16まで行ってる。彼なら芝でも勝てるよ。強い武器がたくさんあるから。全米の決勝に出て自信もつけてる。僕もその途中、準々決勝で彼に負けたわけだしね。彼との対戦にはじっくり時間をかけて備えてきた。それとカルロス・モヤに対してもね、彼には前にずいぶんやられてるしさ。カルロスは芝でも充分に有効なゲームスタイルをもってる。これまではあえて多くの試合には出てこなかったってだけで。今回のスペイン勢の中でいちばん危険な相手かもしれないね。あのビッグサーブがあるし、さらにネットプレーだってしてくるし」


――オーストラリアは2000年のバルセロナでの決勝で苦い思いをさせられた。いま振り返ってみて、どう?

「あんな最低の観客の前でプレーしたことなかったね。テニスに対してもデビスカップの伝統に対しても、ちっとも敬意がないんだもの。うるさいのは別にかまわないんだよ。ブラジルに行ったときだってさ、観客は手厳しかったけど、あっちはもっとお祭り気分って感じで、僕が勝っちゃったときでも、コートを去るあいだスタンディングオベーションしてくれたよ。彼らはこれがスポーツだってわかってた。僕がすごい試合をしたってことも。すばらしい雰囲気だった」


――しかしスペインでは違ったと。

「あいつらはただ野次るだけ。僕が第4戦で負けて、勝負が決まっちゃったあとなんか、最悪だったね。こっちは負けて、ネットの前でフェレーロが握手に来るのをずっと待たされてたんだ。でも、それはフアン・カルロスのせいじゃないよ。15人ぐらいが彼に飛びかかってきちゃったんだから」


――その中にはハビエル・デュアルテもいたね。

「そう。監督自ら混じってた。それはちょっと違うんじゃないかと思うね。フアン・カルロスのことならよく知ってるし、彼はすごくいい奴だ。彼とはあとで握手した。問題だったのは周りにいた人間だよ」


――どこで握手したの?

「センターコートで両チームが並んだとき。10分後ぐらいかな。メダルの授与で国王が出てきたときに、彼のほうから来てくれたんだ。フアン・カルロスには何の文句もないよ。彼はちゃんとしてた。対戦前に攻撃してきた連中の仲間には入ってなかった」


――デュアルテとコレチャが主犯?

「そう。それと表には出てきてないけど、コスタも入れていいんじゃないの。まあアレックスとデュアルテが中心になって、ああいう雰囲気を作りあげてたのはまちがいないけどね。彼らの発言を受けて、メディアが書きたてたんだ。僕らがバルセロナでレストランに入ったら、地元のスペイン人が近づいてきて『新聞を見たか?』って言うんだ。彼はその新聞を持ってきてて、僕に訳してくれたよ。『こいつを憎むべし』って書いてあって、僕の写真が出てんのさ。そりゃへこむよ。それでいっそう闘志が沸いて、初日にコスタを負かしてやるって気になって、実際に勝てたからいいけど」


――コレチャにまだ恨みがある?

「いや、べつに」


――2001年のデュッセルドルフのワールドチームカップで彼が君を狙ってきたことについては?

「パット・ラフターがどんなにナイスガイか、誰でも知ってると思うし、僕だってパットが誰かとやりあうところなんてめったに見たことなかったけど、彼もあのデュッセルドルフの一件には本当にがっかりしてたよ。コレチャが自分のコートに入った浅いボールを僕の頭めがけて打ったんだから。コレチャはいろいろ言い訳してたけど、パットはすぐ彼に向かって言ってくれた。『レイトンはここで何も悪いことしてないだろ。あんたはさっきからずっと彼の顔を狙ってたようだけど、あのボールはどこにだって打てたじゃないか』って。ああいう状況でパット・ラフターのような人が自分の味方についてくれてるってのは嬉しかったね。相当な騒ぎになったけど、僕はできるだけ関わらないようにしてた。今回の対戦に際しては、その後アレックスとも話をしてるし、すべては記憶にしまってあるだけだよ」


――今年は14大会しか出てないけど、来年はもっと出るつもり?

「今年も終盤にもっと出るつもりだったけど、デ杯決勝のために足をとっておきたかったから。芝の決勝にはそれが最善の準備だということで。細かくは来週あたりに決めることになるけど、間違いなく来年はもっと試合に出るよ」


――1位への返り咲きはどれだけ重要視してる?

「ときにはそういうことも考えるし、また1位になりたいとは思うよ。ただ、それも年間のなりゆきしだいだね。年初にそういうことは考えない。それより全豪オープンのほうが大事。このデ杯が終わって、うまく優勝できてたら、その自信をそのままオーストラリアのサーキットにもちこんで、できるだけたくさんタフな試合をこなしたいと思う。体力的にも2月までめいっぱいやれるだけの準備はしてきたと思うしね。全豪でもきっといい結果が残せると思う。高いシードはもらえないけど、それはそれでかまわない」


――この2003年を評価すると?

「波が激しかったね。ボールはよく打ててるのに、チャンスが来たときにそれをつかめなかいことが多かった。マスターズカップとスラムを取った昨年、一昨年は、ちょっとでもチャンスが来れば、すぐにそれをつかめてた」


――ウィンブルドンも、そうしたチャンスをつかめなかった一例?

「あれは事故みたいなもんだよ。その前の練習ではすごくよくボールが打ててたんだ。あれはもう、ほんとに不本意だった。大会を多少なりともぶっ壊しちゃったような気がしてね。明らかにドローが開けちゃったから。あのとき(クロアチアのイボ・カルロビッチと当たった一回戦)は先に1セットとってて、ブレークポイントもたくさんあったし、セット2−0にするセットポイントまであったのに、それを取れなかった」


――全米オープンが巻き返しの転機になった?

「調子はすごくよかったね。フアン・カルロス相手に(準々決勝)セット2−1にできそうなところまでいってたけど、そこで腰にちょっとした故障が起きて、それでおしまい。フェレーロはそのあとアガシに完勝したんだから、まあ、決して悪い負けではなかった。全米でうまく持ち直せて、それがデ杯準決勝のフェデラー戦にもつながった」


――なぜコーチのロジャー・ラシードはこんなに叩かれてるんだろう?

「コーチに昇格する時期が悪かったからね。ただ、彼を叩く前にちゃんとものごとを見てほしいと思うよ。彼がどれだけ仕事をしてくれてるかをさ。たいへんなものなんだよ。彼はウィンブルドンで、対戦相手(カルロビッチ)をしっかり調べなかったんじゃないのかって叩かれたけど、そんなの嘘っぱちもいいとこさ。彼ほど相手をしっかりスカウトして弱点を見つけようとしてくれるコーチはいなかったよ。あれはこっちの準備が足りなかったわけじゃない。向こうが大当たりの日だったんだ。僕はロジャーにこの上なく満足してるよ」


――前のコーチ、ダレン・ケーヒルやジェイソン・ストルテンバーグと比べてどう?

「それぞれ違うからね。ダレンもジェイソンもすごくよかったよ。ロジャーはたぶん、もうちょっといろんなことを取り入れようとしてる。総合的な計画っていうか。彼はすごく気合を入れてくれるし、それは僕にとってはすごく大きなことだ。お互いフットボール育ちだってことも、うまく働いてるかな。僕たちには強い意欲がある。彼はものすごく努力してて、それは前のコーチともまったく同じだし、なにより、彼がどれだけ頑丈な体をしてるかでもわかるだろ。僕も彼の半分ぐらいでもがっちりしてたらと思うよ。みんな彼のことを何も知らないのさ。彼が見えないところでどれだけのことをしてるかも。テニスでは選手とコーチが一対一の関係だから、どんなに小さな問題でも、親友のような関係じゃなくちゃダメなんだ」


――両親がいつも応援に来ることも批判されてるけど、それについてはどう?

「残念だね。そんなの批判されるいわれもないし、へんな話だよ。僕がウィンブルドンの1回戦で負けたとき、みんながさかんに責任をなすりつけるものを探してた。ロジャーのせい、僕の親のせい、あるいは僕が全仏に残ってキムの決勝を見てたせい、ってね。みんなあれこれいろんな理由を引っぱってきてたけど、その一年前はどうだったのさ。僕がウィンブルドンで優勝したとき、メディアは全部、両親が付き添ってることがいい影響を与えてるって言ってたじゃない。くだらない。そもそも彼らが何を知ってるっていうのさ? 僕のことだって、僕の家族のことだって、何も知らない人がほとんどだろ。ま、いいけどね。コートの中でも外でも自分のことを心配してくれるのが誰かってのは、自分でちゃんとわかってるから」


――メディアのことをどう思う?

「メディアの中にも立派な人はいるし、そうでない人もいるってことかな。多くのメディアと険悪だったときもあったけど、何よりいやになるのは、いっつも悪いことばっかりほじくり出されることさ。とにかく僕を叩いて、批判的な記事ばかり書こうとする」


――2001年全米でのジェームズ・ブレークに対する人種差別問題についても、あれは誤解だった?

「もちろん。メディアが事実を膨らませて全然違うものにしちゃったのに、だれもこっちの言い分は信じようとしない。あのあと毎日メディアと対面しなきゃならないのが本当につらくて、もう、しかたなく壁を作っちゃったような感じ。質問にもろくに答えず、とにかく早くその場から出て行きたかった。ずっとそんな感じで、あの全米を勝ち進んでたんだけど、それがよかったのかもしれないね。準々決勝でロディックと対戦したときも、絶対に勝つ気でいた。どんなにリードされててもいい、どんなに体が痛くてもいい、何をしてでも勝ってやると思っていたけど、それは一部には、アメリカのメディアがあのブレーク事件を事実以上に膨らませようとしてたからさ。アンディには悪かったよね。あの試合で彼に八つ当たりしちゃったようなもんだから」


――コート上での態度に関して、実際に限度を超えてしまったことはある?

「たぶん、何回かは」


――いつ?

「99年の全仏。一回戦で(アルゼンチンのマルティン・)ロドリゲスと対戦したとき。あれはたぶんそのせいで負けたね。試合のあいだじゅう余計なエネルギーを使いすぎた」


――彼に対して悪い言葉を吐いたとか?

「試合中ずっといらいらしてたんだ。そういうネガティブなエネルギーをポジティブなものに変えられればいいんだけど、そのときはあまりにも不機嫌で、自分で自分を疲れさせてしまった。このことについては、ニュークがデ杯の監督だったときにずいぶん相談したよ。いまでは何があってもたいてい忘れて気持ちを切り替えられるし、たいていうまく対処できてると思う」


――これまでに受けた最高の大打撃は?

「スペインとのデ杯決勝の前のだね。実にすばらしかったよ」


――カフェルニコフともやりあったよね。99年のブリスベーンでの準決勝のとき。

「はは、あれもね。だけど、いまじゃエフゲニーとはすっかり仲いいよ。エフゲニーの場合は、話を多少割り引いて聞かなきゃいけないときがあんだよね。オフコートではほんとに面白い人だよ」


――どうしてアメリカに拠点を置かないの?

「とくに利点がないからさ、生活面で。オーストラリア以外のところには住めないもん」


――ヨーロッパにはけっこう長くいるよね。

「ベルギーは拠点と言えるかな。キムんちがあるから。あそこは煩わされなくていいね。トレーニングもできるし、まわりもみんないい人だしね。でもやっぱり帰ってくるとほっとするし、デビスカップのホームでの試合が何度もあるから、アメリカに拠点をもったって意味ないよ。人はそれぞれで、パットはバミューダにいるのが好きだし、トッド・ウッドブリッジはオーランドが好きなのさ。で、僕は家に帰ってくるのが好きなだけ」


――アンドリュー・マクロードの影響は?

「いまじゃ親友のひとりだよ。この1、2年のあいだに何度か会って知り合いになった。すごく地に足のついた人でね。もちろん偉大なフットボーラーでもあるしね」


――何かアンドリューから学んだことがある?

「僕らはお互いの経験してきたことを理解してる。その点、ちょっとキムとの関係に似てるかな。どちらも同じような境遇にいて、たとえば夕食に出かければ、サインを求められたり写真を撮られたりする。お互い相手の受けてるプレッシャーが理解できるんだ。彼はデ杯の準決勝までテニスの試合をナマで見たことがなかったんだけど、あのフェデラー戦に来てくれてね、それから僕も、アンドリュー・マクロードがゴールを決めたときのポーズをやるようになっちゃった」


――いまでもフットボールの選手になりたい?

「それはさすがに現実的じゃないね。もっと体重を増やさなきゃダメだし、条件がまったく違うんだもん。でもやっぱりフットボールでキックするのは好きだなぁ。やる競技を変えられるなら、そんなすばらしいことはないけどね」


――パット・ラフターからはどんな影響を?

「彼はほんとにいろいろ助けてくれた。そうしなきゃいけないわけでもなかったのに。彼はオーストラリアのテニス界のことを考えてくれてたんだ。だから僕も、トッド・リードの練習相手になれれば嬉しいし、彼が成功してて嬉しい。ニュークとローチもそういうパットに協力して、次の世代を育てようとしてくれてた。パットがすごい人だってのは一緒にいてよくわかった。どこに行ってもみんな彼のものを何かしら欲しがるんだ。自分で独り立ちする前に2年ほど彼についてまわったのは、本当にいい勉強になった。それに、彼は友達としてもすばらしいしね。困ったときや助けが要るときは、いつでも彼に電話できる。そうすると、本当の兄貴に相談してるような気分になれるんだ」


――1997年から99年にかけてパットとマーク・フィリポーシスのあいだに一悶着あったけど、そのときはどうしてた?

「あのころ僕はマークのことをよく知らなかったから、とまどってしまった。当時はオレンジボーイをやってて、ミルジューラでのジンバブウェ戦(98年)の完敗に関しても何か言える立場ではなかったし。いつのまにかあんなことになっちゃってたって感じで、詳しいことはよく知らなかった。それからパットとダブルスをやるようになったんだけど、パットとマークの問題はなんかまだ続いてて。マークは僕がパット寄りだと思ってただろうね。実際、僕がマークのことをちゃんと知るようになったのは、ここ2年ほどのことだから」


――それでずいぶん関係が変わった?

「いい友達になって、絆も深まった。何度も一緒にダブルスやったし、ゴルフもやったし、彼は本当にいい人だよ」


――マークはパットのような人間じゃないという理由でメディアから不当に叩かれてきたのかな?

「いろんな面で、彼は僕によく似てると思う。マークのことを何でもかんでも叩く連中がいるんだよ。あんなものを買ってるだの、こんなことをしてるだの、こういうときにこんなことでいいのかだの。彼はたくさんチャリティ活動をやってるし、いたって協力的だし、自国のためにプレーすることだって大好きだ。あらゆる面で誤解されてるんだよ。彼の親も叩かれてきたし、僕の親も叩かれてきた。この1年で(彼の父親の)ニックと親しくなったけど、実にいい人だったよ」


――オーストラリアの観衆からの人気は君にとってどれぐらい重要?

「とても。だって彼らのためにプレーしてるんだから。フェデラー戦で負けてたときも、観客みんなが応援してくれてたから盛り返せたようなもんだった。僕が出ていくときはつねに総立ちで拍手してくれたし。あの試合に勝ったあとは、何日も興奮がおさまらなかった」


――サフィン、フェデラー、フェレーロ、ロディック、それに君。これからが非常に楽しみな一団だね?

「それと、ナルバンディアンもね。彼はほんとにすばらしいゲーム運びをするし、全米でロディックに勝っててもおかしくなかった。これからは、ずっと小さなライバル関係が続くようになって、たぶんアガシとサンプラスのような明確なライバル関係は見られなくなるんじゃないかな。それだけ才能ある選手が多いから」


――その中で、好調時に最も手がつけられないのは誰? サフィン?

「サフィンはそうだね。リターンもうまいし、どこに打っても動きがいい。どんなショットでも強烈にハードヒットするし、あの爆弾サーブもあるし、どのサーフェスでもいいプレーができる。ロディックはクレーだと、フェレーロやコリアやナルバンディアンに対してちょっと分が悪いかな。フェレーロはすべてのサーフェスに対応できるね。ナルバンディアンもそうだ。あとフェデラーは、たぶんこの中でいちばん才能があるだろうね。まあ僕はなぜか彼に対してがいちばん対戦成績がいいんだけどさ」


――君たちはみんな仲いいの?

「だいたいね。ロジャーとは仲がいい。すごくいい奴だよ」


――ロディックはどう?

「彼はちょっと違うんだよね。彼とはあまり深くつきあったことがない。彼の前のコーチ(タリク・ベナビレス)がね、そういう時間をくれなかったというか。アンディより彼のほうが問題だったね」


――規則を破ってコーチングするコーチはどれぐらいいる?

「こっそりやろうとするコーチはいっぱいいるよ」


――それについての審判の対処のしかたはどう?

「しっかり注意するべきだと思うね。試合中しょっちゅう自分のコーチに話しかけてる選手がたくさんいるんだから」


――君は16歳からツアーに出てるけど、何かできなくて残念だったと思うことはある?

「いくつか楽しいパーティーに出そこなったなぁ。でも、やり直したいとは思わないね。学校に残って12年生をやるか、それともテニスをするかという選択になったとき、迷いはなかったもん」


――これまでで最高の試合は?

「ブラジルでのクエルテン戦(2001年デビスカップ準々決勝)かな。ロジャーとの最後の2セット(9月の準決勝)もよかったな。あとはウィンブルドン準決勝のヘンマン戦(2002年)と、全米で優勝したときの最後の2試合(2001年)かな」


――キムとの関係は本業のテニスにとっても大きな意味があった?

「どちらにとっても大きかったんじゃないかな。だって、つきあってるあいだにお互いキャリアの絶頂に立てたんだから。彼女もナンバー1になったし、僕もナンバー1になった。そんなカップルってめったにないし、僕らはつきあってるあいだに、それを実現できたわけだからね。二人とも本業で成功したってのもすごいことだけど、そのときお互いのそばにいられたってのが嬉しいよね」


――結婚は?

「いまはまだ何とも。なりゆきに任せるよ。彼女はほんとにいい子だし、僕らはいまんとこ充分ハッピーだから。最終的にどうなるかはわかんない」


――引退は?

「そのときになってみなきゃわかんないよ。とりあえず楽しめるあいだ、モチベーションが残ってるあいだは続けるよ。怪我もあるしね。パットもああいうことになっちゃったわけだし。ま、アガシの年齢(33歳)までやってることはまずないだろうけど。とにかくデビスカップはできるだけ長く続けたいんだ」


――資産はどれぐらいできてるの?

「さあね。そういう心配はグリンがしてる。前に金融関係の仕事してたからね。そういうことに関しては経験がある。もちろん僕が知ってなきゃいけないことは教えてくれるけど、細かい数字はどうでもいいな。べつにお金のためにプレーしてるわけじゃないし。さもなきゃデビスカップなんか出ないよ」

 

原文 (Spanish sledge fires Hewitt up)