2006年2月4日

25歳の誕生日を過ぎるとろくなことはないと歴史は語る


History says Hewitt faces many unhappy returns after 25th birthday
AAP
February 04, 2006


 レイトン・ヒューイットは2月24日に25歳になるが、ロジャー・フェデラーというきわめて明白な大障害を別にしても、歴史を見るかぎり、オーストラリアの元ナンバー1がこの先グランドスラムの優勝数を増やすのは容易ではなさそうだ。

 テニスのオープン化以降、グランドスラムの男子優勝経験者は26人いるが、そのタイトルの3分の2は、各選手が25歳になる前に獲得したものである。

 歴史に残る名選手、マッツ・ヴィランデルも、同じく元世界ナンバー1のジム・クーリエ、エフゲニー・カフェルニコフ、グスタボ・クエルテンらとともに、25歳以降は大きなタイトルを取っていない。

 ビョルン・ボルグが11個のグランドスラム・タイトルの最後のひとつを取ったのは、25歳になった翌日のことだった。

 ボリス・ベッカーが集めた6個のグランドスラム・タイトルのうち、5個は23歳までに獲得したものであり、ジョン・マッケンローも25歳以降はついに8個目を引き寄せられず、ステファン・エドベリも26歳には息切れとなった。エドベリのメジャー優勝6回のうち4回は、25歳の誕生日より前のことである。

 ヒューイットが2001年のUSオープンに続き、2002年のウィンブルドンで自身2個目にして最後のグランドスラムのトロフィーを掲げたのは、彼が21歳のときだった。

 ヴィランデルはカウンターパンチャーのヒューイットをボルグと自身になぞらえたうえで、現在のヒューイットが――過去の二人のスウェーデン選手と同様に――キャリア初期に若くして成功したあとの精神的なバーンアウト状態にいるのかもしれない、とつけくわえた。

 ヒューイットは20歳8ヶ月で史上最年少の年度末世界ナンバー1となり、その記録は現在も破られていない。一方、ボルグとヴィランデルはともに十代でグランドスラムのチャンピオンとなった。そしてボルグは26歳には引退していた。

「この3人の共通点は、3人とも若いころからとても大人だったってことだね」とヴィランデルは言う。「僕らは、誰に教えてもらわなくても自分にモチベーションを与えることができた。意欲があって、テニスというものをよく知っていた。戦術的なことを誰かに教わる必要は全然なかった」

「たとえばアガシがいい例だけど、彼なんかはまったく子供だったね。実際、彼が17年間もプレーできてるってのは、そのうち7年ぐらいは度外視してやらなきゃならないからじゃないかな。どん底の時期も(約2年間)あったし、彼が18歳のころなんかは、何も考えずにただ打ってたようなものだったからね」

「僕は17歳のとき、すでに確率の高いプレーをしていた。レイトンと同じさ。そうやってすべてのポイント、すべてのショットを、体じゃなくて頭を使ってプレーしてるとね、いつかどこかで疲れ果てるときが来るものだと思うよ。プレッシャーのもとで打てるボールの数には限りがある」

「たとえばピート・サンプラスのような選手が長いあいだ活躍できたのは、それほど多くのボールを打たなかったからだよ。メンタル面で、彼はたいして我慢する必要がなかった。精神的な集中力というのは大きな要素だ」

 22歳までに4個のメジャータイトルをとったあと、ヴィランデルはゲームスタイルの修正を余儀なくされた。ベッカー、エドベリ、イワン・レンドルなど、よりパワフルで攻撃的なスタイルの選手たちが彼を追い越しつつあったからだ。

 今週の最新世界ランキングで、過去2年で最低の11位に後退するヒューイットに対しても、ヴィランデルはゲームを変えるべきだと言う。

「これは僕自身の経験から言ってるんだけどね」

「僕も自分のゲームを変えた。もちろん完全に変えたわけじゃなく――自分がうまくできてたことはそのまま残して――いくつか新しいことをつけくわえたんだ。サーブ&ボレーを増やしたり、スライス・バックハンドを増やしたり。そうすることで、意識も変わる。 『うわ、すごい、いまじゃサーブ&ボレーもできるんだ』 というふうにね」

「それに第一、ずっと楽しくなるよ。前はそんなことしなかったわけだから。レイトンにも同じことができるはず」

「まだ遅くはない。レイトンはまちがいなくスライスの打ち方を知ってるし、実際に打ってもいる。あとはただ、それを攻撃的に使うというか、目的をもって使う必要があるだけ」

「サーブ&ボレーにしても、やはり目的をもってやる必要がある。意外な戦術として使うのではなくてね」

「僕が自分のゲームを変えたのは、4個のメジャーを取ったあと、2年間ひとつも取れなくなっていたときだ。だから、 『これは何かしなくちゃいけないな』 と思ってね」

 その後、ヴィランデルは1988年にさらに3個のメジャータイトルをもぎとった。それ以来、2004年のフェデラーまで、1年間に3回グランドスラムで優勝したのは彼だけである。

「レイトンはもう若手ではない。ほかに若い選手がたくさん出てきている。バグダティスとか、ナダルとか。彼らに対しては、もう後ろに下がったままではだめだ」

「自分から仕掛けていかないと。カウンターだけで対抗するには、いまの若い選手は強すぎる」

 もちろんキャリア後半で活躍した選手もいないではない。最も代表的なのはサンプラスとレンドルで、どちらも25歳以降にグランドスラムでの優勝回数を7つ増やした。

 だが、彼らは数少ない例外だ。この二人は合わせて37回もメジャーの決勝に出ており、うちサンプラスが14回、レンドルが8回勝っている。

 ジミー・コナーズは8個のスラムタイトルを21歳から31歳までのあいだに着実なペースで増やしていき、25歳の誕生日の前と後とで4個ずつを獲得した。アガシの場合も、彼の8回の優勝のうち5回は25歳の誕生日以降のできごとだ。

 したがってヴィランデルが言うように、ヒューイットにも望みはある――彼にまだその意欲があるならば。

「あるといいね。きっとあると、僕は思うよ」とヴィランデルは言う。

「彼にはとても才能がある。とても器用だし、頭もいい。身体的にもとても強いし、とても速い。技術もある。アンドレ・アガシにいきなりバックのスライスを打てと言うのとは違うんだ。それはアガシにはできないことなんだから」

「レイトンにはできる。彼ならボレーもできるし、動きもいい」

「あとはただ、彼にそれをやりとげる気があるかどうかってこと。多少の忍耐がいるからね」

「彼はいまも努力しているけど、この先は未知の領域だ。このままの位置――世界4位のレベルに、彼ならあと3年や4年はいられるだろうけど、もうひとつ別のレベルにも行けるかもしれないよ。下がるかもしれないけど、上がるかもしれない。それは誰にもわからないよ」

 

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訳者あとがき


ヴィランデルって誰?―― 一説には、
こんな人です。


ラシードともどもアイダホに移住してヴィランデルに弟子入りしてくんねーかな。
そしたら個人的には最高の組み合わせなんだけど。ありえねーだろうな。